労災

  • #精神疾患

症例35 精神科受診歴なし。自死の可能性を予見できたのか?

事案概要

ご依頼者:C氏の雇用主D社の代理人弁護士
鑑定対象者:C氏 当時40代(男性)

C氏はD社に入職し勤務していたが、数年後、遺書を残し自宅で自死した。
遺書には、上司への不満が記されていた。
自死前に上司から叱責を受けた事実はあったが、医療機関の受診歴はなく、規定通り就業していた。(過去に精神疾患の罹患歴もなかった)

C氏の遺族である原告側は、C氏は自死前にパワーハラスメント等によりうつ病を発症しており、D社はそれを把握し、C氏に休職を促す等の配慮を行うべきであったと主張し、損害賠償請求訴訟を提起した。

検討事項

・C氏はうつ病であったといえるのか?
・C氏がうつ病であること、また自死の可能性が高い状態であることをD社は把握できたか?

検討のポイント

・C氏の自死前の様子は、うつ病の診断基準に該当するか。
・医療記録以外の資料から、どの程度の評価ができるか。

検討結果

  • うつ病の診断基準への該当性
    世界保健機構(WHO)が定める国際疾病分類であるICD-10における診断基準を用いて評価した。

<ICD-10 F32 うつ病エピソード 診断基準>
全般基準
G1.うつ病エピソードは、少なくとも2週間続くこと
G2.過去に躁病性症状がないこと
G3.主要な除外基準:精神作用物質の使用、あるいは器質性精神障害によるものでないこと

F32.0 軽症うつ病エピソード
A.うつ病エピソード(F32)の全般基準を満たすこと
B.次の3項の症状のうち少なくとも2項があること
(1) 著明な抑うつ気分が、少なくとも2週間のほとんど毎日かつ1日の大部分続く
(2) 興味や喜びの喪失
(3) 活力の減退または疲労感の増加

C.次に示す付加的な症状を併せて、B項との合計が少なくとも4項あること
(1) 自信喪失、自尊心の喪失
(2) 自責感、過度で不適切な罪悪感
(3) 死や自殺についての繰り返し起こる考え、あるいは他の自殺的な行為
(4) 思考力や集中力の低下
(5) 焦燥あるいは遅滞をともなう精神運動性の変化
(6) 睡眠障害
(7) 相応の体重変化をともなう食欲の変化(減退または増進)

­­­­① C氏の自死前の勤怠情報、同僚の陳述書(自死前における職場でのC氏の様子)
自死前の数か月仕事を欠席することもなく、勤務態度にも問題は認められていない。
自死の数日前には職場のレクリエーション活動にも参加していた。
→明らかな意欲低下や抑うつ気分、興味や喜びの喪失は認められず、診断基準を満たさない。

② C氏の友人や家族の陳述書(自死前における日常生活でのC氏の様子)
自死の約半年前頃から飲酒量が増加したり、職場の愚痴をこぼしていたというエピソードがあった。
→自死の約半年前頃より職場でストレスを感じていたことが推測されるが、診断基準に該当するような状態は確認されない。

③ 勤務先で実施されたストレスチェック結果
C氏のストレスチェック結果は、複数回実施されているが、いずれも「高ストレス者」とされる数値であった。
自死直近のストレスチェックの結果が、それ以前の結果と比べて特に高い数値となっているわけではなかった。
C氏の職場では、C氏以外にも複数名が「高ストレス者」に該当していた。
→C氏の職場環境はストレスにさらされる機会が多かった可能生が高いが、C氏のみが高いストレスにさらされていた訳ではないことが推察された。

※ストレスチェック:精神疾患を発症し労災認定される労働者の増加を踏まえ、労働者のメンタルヘルス不調を未然に防止することを目的に、常時50名以上の労働者を使用する事業場で実施が義務付けられている。

検討結果

・C氏が自死直前に、うつ病と診断される(診断基準を満たす)状態であった可能性は低いと判断された。
・勤怠や勤務態度にも問題がないこと、自死前の職場での様子から、C氏が自死行為に出る程の精神状態であることを、D社が把握して措置を講じることは困難であったと判断された。

以上の内容にて、精神科専門医による意見書を作成した。

この症例を踏まえてメディカルリサーチからお伝えしたいこと

精神疾患による労災認定は大変増えています。
「うつ」という言葉も身近なものになっていますが、実際には上述のように、非常に細かい診断基準が定められています。

精神疾患の診断は難しく、一度の診察では正確な診断ができないことや、経過によって診断名が変遷していくことも珍しくありません。
診断書に記載された病名も、きちんと診断基準に照らすと、正しい診断名ではない可能性があります。

医学鑑定は、労働者の方に精神的な負担があったことを否定するものではありませんが、補償という場においては、その根拠を明確にするために、診断基準に該当するか否かの検討は必要であると考えています。

また、本事例のように、突然の自死、という事例では、精神科や心療内科の受診歴がないことも珍しくありません。
医療記録のない事例では、限られた情報から精査する必要があり、臨床現場・医学鑑定ともに経験豊富な医師による対応が必要となります。
情報に偏りがあると誤った鑑定結果に繋がるため、使用者側・労働者側いずれからの依頼の場合でも、使用者側からの情報(上司や同僚からの陳述)、労働者側からの情報(家族や友人からの陳述)の両方を踏まえて総合的に評価することが大切だと考えています。

当社では、経験豊富な精神科専門医が、医療記録以外の資料もしっかりと検討いたします。